すばるの雑談

大学生すばるの考えていることや日常の出来事、ちょっと役に立つ知識を発信していくブログです。

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何者にもなれない僕たちは

みなさん、こんにちは。すばるです!

突然ですが、「何者かになりたい」
そう思うことはありませんか?

多くの人が望む「何者かになること」

今日はこの「何者かになること」について、
僕なりに思うことを書いていきたいと思います。

 

何者にもなれない僕たちは

「何者かになりたい」そう願う人は多くいる。

だが、僕らは何者にもなることはできない。

 

「何者にもなることはできない」

この言葉に疑問を呈す人は大勢いるだろう。

この疑問に僕なりの回答をしていく前に、
こちらからまた疑問を投げかけようと思う。

 

そもそも何者かになるって何なのだろうか?

  • 有名人になること
  • 世界一の大金持ちになること
  • 誰からも愛される人気者になること
  • 後世に名を残すような人になること

 きっと、何者の形は千差万別だ。

 

何者かになりたいと願うとき、僕らは何者にもなれていない自身がそこにいる。

つまり、何者にもなれていないからこそ、何者かになりたいと願うのである。

何者というのは僕らの想像上の産物だ。

 

では、もし仮にその何者かになったとき、
果たして僕らはもう何も望まないのだろうか?

 

いや、そんなことは決してない。

 

エジソンが電球の発明に成功したとき

ダーウィン万有引力を発見したとき

ビル・ゲイツが世界一のお金持ちになったとき

彼らは何者かになったとき、きっとまた新たな何者かになりたいと願っただろう。

そのとき、彼らはまた何者にもなれていない自身に出会うのである。

 

これは彼らに限ったことではない。

僕らも全くもって同じだ。

 

想像上の産物である何者かにもし仮になれたと感じたとき、

僕らはまた新たな何者かを想像し、
何者でもない自分自身に出会う。

または

そこで自らの人生を終える。

この二択である。

結局のところ何者かになんてなれないのだ。

 

 

それでも僕らは「何者かになること」を望む。
僕自身もそれを望んでいるのかもしれない。

別に僕はこの願望を悪いとは思わない。

 

だが、ときどきこうも思う。

「何者かになること」に目を向けすぎて、
現実の自分を見失っているのではないかと。

 想像上の産物に気を取られ過ぎて、現実世界の自分が宙を舞っている。
そんな感覚にときどき襲われる。

 

というよりもこの感覚を味わうために僕らは「何者かになること」を望んでいるのだろう。

冷静になって考えれば至極当たり前のことだ。

現実の自分から変わりたいと望むからこそ、
現実の自分に不満を抱えるからこそ、
僕らは”何者”という名の想像上の産物を生み出す。

 

 だからこそ、

今日も「何者かになること」を望む。

何者にもなれない僕たちは